先日、あるコミュニケーションツールで、私が今抱えている悩みを投稿したところ、
明らかに悪意のある言葉をぶつけられました。
意見としては一理あるかなとは思いましたが、きつい言い方にびっくりしてしまいました。
けれどその日は、自分なりに気持ちをうまく切り替えて一日を終えることができました。
今までだったら結構引きずっていたと思うので、成長だと思い、ここに綴ります。
自分の感情を認める。
この悪意のあるコメントを見たとき、
悲しかった。涙が出た。
それから、なぜ悲しいと思ったのかを自分の中で考えてみると、
決めつけられて悲しかった。
否定されたことが悲しかった。
顔も名前も知らない人に悪意を向けられて怖かった。
このような考えが浮かびました。
なぜ悲しいのかわかると、不思議と悲しい気持ちは落ち着き、
今度は怒りに変わりました。
ノートに自分が今思っていることを書き殴る
そのコメントに返信しようかと、一瞬思いましたが、
火に油を注ぐ行為だと思い、放置しました。
代わりにノートに今、自分が思っていること全てを書き殴り
破って捨てました。
ノートに書いたことは誰にも見せないので、
字が汚くても、何書いてもOK。
書くことで自分が思っていることを客観視できます。
破り捨てるとめちゃくちゃすっきりしました。
自分の行動を振り返る
ここまでくると、感情もだいぶ落ち着いて冷静になれます。
悪意のあるコメントも、一つの意見として事実だけ受け止めた上で
自分もこういうところが配慮に欠けていたかなとか
客観的に起きたことをとらえることができて、
その後は引きずることなく、一日を終えることができました。
文字の裏に人がいることを意識しよう
SNSが普及したことで、誰もが自分の意見や気持ちを表現することができ、
それが目に見える時代となりました。
けれどそれは、自分の言葉にもっと責任を持たなければならないことを意味していると思います。
言葉は時に刃になります。
受けた傷は、一生心に残る可能性もあります。
浄土教篤信者より、「言うは知性言わぬは品性」という言葉があります。
送ろうとしているメッセージは本当に言わなければならないことなのか
人を傷つけるような表現になっていないか
私も、ブログで発信する立場として、
一層気を付けていこうと思う出来事でした。
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